【番外編】 映画「ジョーカー」
台風19号が過ぎ去り澄み渡る空の下、
話題の映画「ジョーカー」を見に行ってきました。
「ダークナイト」から10年以上を経て、多くの人を魅了したヴィラン・ジョーカーをどのように描くのか、非常に興味がありました。
結果から言うと、期待以上のすばらしさでした。
作品を一言で表すなら痛みと怒りに満ちた作品です。
爽快感や笑いとは無縁な切々とした苦しみが続いている。
そしてそれらは劇的なものではなく、私たちの身近にもありふれた悲劇なのです。貧困、周囲との不協和、虐待と障害。これらは連鎖する不幸であり、私たちの社会においても生まれるものです。
それらの中で必死に耐え忍んで生きている人間が、それに押しつぶされ振り切れてしまった結果の一つが「ジョーカー」なのです。
作中で興味深いセリフと一つに
「自分の人生は悲劇だと思っていたが、喜劇だったんだ。」
というものがある。それまでのストーリーで喜びなど
一切なく、絶望に染まって開き直った一言だ。
彼は支えてくれる人が一人でもいれば幸せだったろうに、それさえなかった。作中で恋人の描写があるのだが、
それは彼の妄想なのだ。妄想の中ぐらい大富豪や権力者になることもできるのに、彼にとっての幸せはたった一人の恋人がいることを妄想することで精一杯なのだ。
そしてそれすら現実でなかったことに気付き彼は本当の絶望の底に墜ちる。
自分には何もないと悟った彼は、犯罪者として名を挙げることになる。この話を見ていて、ずっと今年7月に
起こった京アニ放火事件を思い出していた。「無敵の人」などのフレーズと共に話題になったこの事件は、周囲とのつながりや守るものを何ももたない人が大きな犯罪へと至る危険性を広く社会に広めた。
本作「ジョーカー」は改めて我々にそのことを知らしめる作品となるでしょう。