【徒然読書日記】 その36 華氏451度
華氏451度。それは書物が引火する温度である。
知識を排斥し、書物を燃やし、時には人すら焼いてしまう。昇火士が公的な職業として活動する社会で、その仕事従事する一人の男が本作の主人公だ。
まるでクメール・ルージュ政権下のカンボジアかと思うような設定だが、本書が執筆されたのは1953年であり、ポルポト政権が発足する20年ほど前のことなのだ。
本を見つけ出し燃やすことに誇りを感じていた男は、けれど出会った人々の言葉や書物によって次第に本に引き込まれていく。それは聖書であったり、詩であったり、小説であったりした。
けれどもそれは身近な人間の裏切りによって露呈していく。そしてその結末はかつて自分が何度も繰り返してきたことなのだ。作中では主人公同様、知識を貴ぶ老人と知識や本を否定する同業の男が出てくる。そして対局に立つこの男が本作のディストピア社会を象徴している。
「小利口なやつこそ、まさに一番の馬鹿」
「生半可の学ほど危険なものはなし」
「本はとんでもない裏切り者にもなるんだぞ!力になってくれると思っていたのに、反旗を翻す」
知識や本を忌避するその男こそが、それらを引用し、知識を得ることの愚かしさを訥々と説いていくのだ。その語りを聞いていると本当に正しいのはどちらなのかわからなくなる。
現実の社会を見てみるとどうだろう。インターネットの普及で情報に簡単に触れることができるようになった。他者の成功や公開情報に振り回されて結果、不幸になってしまった人々がいないだろうか。下手に知識を得ないほうが良いと思われるケースは実際に身近にあることに気付かされる。宗教問題、歴史問題、得できると勧誘されて詐欺にあう、知識ばかりの頭でっかち。ぱっとでてくるケースは多い。それらを無理やり閉じ込めてしまった社会は善悪はともかくとして、そこに生きる人々は幸福ではないか。
知識を得ることを活用できる人々と不幸になってしまう人がいる。
誰であっても知識はあるに越したことはないかのように振舞う主張をあなたはどう考えますか?
番外編が続いていましたが、久しぶりに本題の本紹介に戻りました!またいくつか紹介したい本が決まりましたので、順次記事にしていきたいと思います!
本作を紹介しているとカズオ・イシグロ氏の「忘れられた巨人」が近しい問いかけを持っていることを思い出しました。次回はこの作品を紹介したいと思います。